パワースポット 大神神社摂社 活日神社

こんにちは・・・ アンディーンノア社長 伊藤です。

一夜酒さん 活日神社

今週は、活日(いくひ)神社を紹介させていただきます。

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酒作りは、三輪の地から始まったと言われています。

なぜ三輪が酒造り発祥の地といわれるのか?それは日本書紀にこんな記述があるからです。
第十代崇神天皇(実在する最古の天皇)時代、国は疫病の流行で混乱を極めていました。天皇はどうすれば良いのか・・・と悩み苦しみ眠っている時、夢で大物主大神様からお告げがありました。「私の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主にし、酒を奉納しなさい」それを聞いた天皇は「高橋活日命(たかはしいくひのみこと」を呼び、一夜で酒造りを行い神酒を奉納しました。すると疫病は去り、国が富みはじめました。そんな経緯から古図には、一夜酒之社と書かれており、土地の人もまた、一夜酒さんとよんでいる。

その時に高橋活日命が詠んだ詩がこちら「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久」(この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ)

このことより高橋活日命は杜氏の神様として大神神社の摂社「活日神社」にまつられました。まさに酒が国を救ったのです。その当時、酒造り天下一の名人であったことにまちがいなく、杜氏さんとして、一番早く記録されている方です。酒づくりに取り組む杜氏さんたちの先祖とも仰がれ、新酒の仕込みにかかる前、現在でも杜氏さん達が、丹波や丹後・但馬、北陸、中国筋から蔵入りする前にはこの社に参拝し、また春もたけなわの頃ともなれば、無事、百日勤めを終えてそれぞれ郷里へ帰る時、ふたたびお参りをされるのが習いになっているそうです。


歴史の上で当社が酒の神としてもっとも有名になった由来について、『日本書紀』によると

「すなわち祟神天皇八年夏四月乙卯十六日、高橋邑の人、活日を以って大神の掌酒となし給ふ」とあり、「八年冬十二月乙卯二十日、天皇、大田田根子をもって大神を祭(いは)はしめ給ふ。是の日に活日、自ら神酒を挙(ささ)げて天皇に献り仍りて歌して曰さく、この神酒(みき)ならず大倭(やまと)なす大物主に 醸みし神酒 いくひさいくひさかく歌ひて神宮に宴したまふ。即ち宴竟(おわ)りて諸大夫など歌ひて曰はく、うま酒 みわのとのの 朝戸にも 出でて行かな 三輪のとのどをここにおいて天皇歌し曰はく、うまざけ 三輪のとのの あさとにも押しひらかね みわのとのどをすなわち神宮の門を開きて幸行(いでま)しぬ。いはゆる大田田根子は今の三輪君等の始祖なり」
 
活日は酒の神の三輪大神に祈念し、その加護によって後世に名を残すほどの芳醇酒を醸したことをこの歌で表現している。
活日神社は、拝殿を頂点として三角形で結ばれる南台地に、天皇社として祟神天皇が、北の台地にこの活日神社がご鎮座になっている。

日本のスタートの地・・・ 周辺では、数々の言い伝えがありますね。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。