いつでもどこでも前後際断 | らおの気づき

ゴールデンウイークにテレビを見ていたら、たまたま庭園デザイナーの桝野俊明さんが、対話形式で話されている番組がありました。

おそらく自身が携われた寒川神社の「神嶽山神苑(かみたけやましんえん)」の庭を前にされてのお話しだったと思います。
テレビで紹介される庭はとても素敵な風景で、作っている時の桝野さんの気持ちなどを話されていました。

そんな話の中で「前後際断」というお話しがありました。
もしかしたら「庭」って、前後際断の気持ちを一番表しているものかもしれません。そんなことをブログにまとめてみました。

niwa01
奈良の吉城園の庭です。この季節、新緑が生えてとてもきれいでした。吉城園は「興福寺古絵図」によると同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。現在の庭園と建物は、大正時代に作られたものだそうです。

パワースポット、お寺、神社が好きなのでよく庭を見て歩いたりします。ただ桝野さんのお話しをテレビで見るまでは、庭を見ていても・・・

「さくらがきれいだなぁー!!」
「新緑がきれいだなぁー!!」
「紅葉がきれいだなぁー!!」

くらいにしか感じていませんでした。

お話しでは、桝野さんが庭園デザイナーであることから、庭に基づく話しでした。
よく高野山に行くので金剛峰寺の枯山水の小庭や蟠龍(ばんりゅう)庭などを拝見させていただき、そこでしばらく考えたりします。
蟠龍というのは「地上にうずくまっていて、まだ天に昇らない竜」という意味だそうですが、枯山水の庭を理解するのは、なかなか難しいものでした。

吉城園の庭のように、池があって、滝があって、苔が生えているわけでもないのです。
枯山水の庭は「水のない庭」のことで、石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式です。
例えば白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、石の表面の紋様で水の流れを表現されていることもあります。
そんな庭なので、なかなかじっくり見て、感じないとわからないものです。

niwa02
吉城園でも、あまり目立たないところに滝が作られていました。でもこの滝の侘び寂がよかったです。

桝野さんは番組の中で、庭を「心の表現」の場だと話されていました。

作られる庭は、今がベストな状態を作っているわけですから「これから先、どうなるか?」などの 結果を求めず、作っていかれると話されていました。
結果は後からついてくるもので、作っている時は「この庭はこうなるだろう?」という結果を描いて作っているわけではなく、

「今のこの庭がベスト」!!

という「前後際断」のこころに基づき作られているそうです。

数々の名庭を残した夢窓国師は

「山水に特質なし、特質は人の心にあり」

と話されているように、感じる人のこころの動きによって、庭の見え方などの 結果は、あとからついてくるものだ と話されています。

人の経験や見方によって、庭の見え方はそれぞれ違うものであり、日々変化する小さなものにとらわれず、見えるままに、言葉にならないものを感じなさいとお話しされていました。

私は、お寺、神社の庭は、これからどうなっていくか?

を考え、計算されて作られているものだと思っていましたが・・・

「過去でも、未来でもなくなく、今がベスト」

なんだという考えのもと作られていることを知ったので、庭の見方も単にきれいだなぁー!!

と思うだけでなく、今見える庭について、考えていきたいものです。
枯山水の砂であれば、ちょっとした風でも、形状が変わったりするもので、そんな今見える姿から思いをはせていきたいものです。庭に「前後際断」の考え方が含まれているとは、桝野さんのテレビのお話しを見るまではわからなかったのですが、これから庭の見え方も変わってきそうです。

ちょっと楽しみが増えてきそうですー!! \(^^)/