「パワスポ社長」タグアーカイブ

神社はこころの断捨離してくれるところ (笑)

こんにちは~ ♬
神社大好き!! 匠(たくちゃん)です。

お盆ですねーー !! 帰省されている方は、大型台風が来ているので、交通の予定の急きょ変更などで対応がたいへんです。

僕は、友達や子どもたちが顔を見せに立ち寄ってくれました。そして亡くなったご先祖様、父、母も帰ってきてくれている。ほんとのとこ、どうなのか? 見えないのでわかりませんが、戻ってきてくれていると思うだけで、こころに安心感が広がります。

だからお盆は、大好きです !!

お盆って、霊的な感覚がレベルがアップする時です。僕は、こころの中に神社にお参りするイメージがポカンと浮かんだので、お盆に神社にお参りすることにしました。

僕は、神社やお寺が大好きです。

二三年前は、お寺の仏像や庭が好きでお参りしていました。お寺には、季節に応じて変化して季節を感じられるので、好きです。庭をじっと見ていると、日々イライラしていても落ち着いてしまうものです。
神社はというと、入口に鳥居があって、手水舎、参道、正宮があって、本宮には鏡が置かれている。

神社のレイアウトは、至ってシンプル!!

どこの神社に行っても、規模の大小はありますが、造りのレイアウトは大差がないことに今頃になって気づきました。(笑)神社というと狛犬とか? さざれ石とか? ちょっとパワースポット的な視点で見ていました。だから変化の多いお寺は好きだったけど、神社にはあまり興味がなかった。

神様ごめんなさい(笑)

でも神社の本質がわかったので、まったく神社の見方が間違っていたことに気づき反省です。

どうして同じようなレイアウトなのか?

ってことに着眼して、考えるべきだった。

伊勢神宮内宮、外宮、大神神社、下賀茂神社など本宮までに長い参道があります。参道を歩くと空気もイオンがあふれていて、ひんやりして気持ちいい!!

続きを読む 神社はこころの断捨離してくれるところ (笑)


起こることのすべての責任は自分にある

こんにちは~ ♬
売り切る仕掛人 匠(たくちゃん)です。

昨晩は、悔しくて悔しくて眠れなかった。
本当なら月曜日に届いるはずの印刷物が、お客様の手元に届いていないと知ったのが、昨日の夕方。そこから印刷会社に連絡しても既読になっているにも関わらず、現状の報告がなかった。

この印刷物は、お客様が急いでおられることを、印刷会社に連絡していたにも関わらず、届いていない。初めは、あの印刷会社はきちんとしているので、誤配かな? とも思った。

もし制作上で不備があれば、こんな理由で納期が遅れますという連絡がありそうなもの。でも連絡がなかったので、お客様の手元には届いていると思っていた。

こんなこと初めての経験だった!!

印刷会社から連絡があったのが 昨日の22:33
ここで初めて現状把握ができた。返ってきたメッセージは

「まだ印刷が出来ていません。明日の朝から処理します」

とのこと。メッセージを見て、内容に目を疑ったがってしまった。二日も納品日が過ぎているのに「なにそれ」って感じ。でも知った時間が時間だけに、この時点で知っても、お客様には連絡の取りようがなかった。

ご依頼いただいたお客様から用紙の在庫が少なくってと聞いていたにも関わらず、納品出来ていないこと申し訳ないと思いつつ、翌日には納品したいと考えた。
でも肝心の印刷会社から返信はなく、対応方法を考えた。まず明日のお昼に処理するはずの明後日のプレゼン用の資料が作れないと思い、その仕事を先にこなした。

仕事しながら考えたのは、自分が選んで依頼したのだから、自分の責任だなぁー!!ってこと。

続きを読む 起こることのすべての責任は自分にある


パワーストーン数珠が切れたら、次のステップへのサイン!!

こんにちは~ ♬
売り切る仕掛人 匠(たくちゃん)です。

6月は、名刺の制作依頼をたくさんいただき、
ありがとうございました。
制作に忙しくすっかりご無沙汰してしまいました。

今回のブログは、
3年前に、ブログにまとめさせていただいて
今もって、おかげさまで僕のブログで人気している

「心処ありがとう」のブログ

お店の方からも
このブログで、急に男性客からの問い合わせが多くなったと
担当の女性の方から聞いて
このブログもお役に立っているんだと、うれしかったです。

今は2ヵ月待ちだそうです | 「心処ありがとう」パワーストーン専門店

さて今回のブログは、パワーストーンの数珠で
ショックなことがあったお話しです。

実は、3年前に買った水晶の数珠の糸が急に切れてしまいました。
紐から外れて転がる水晶玉を見て

「焦り」と「不安」の嵐

が心にどっと広がりました。

でも自分勝手に解釈しました(笑)

この数珠は、もう卒業の時期を迎えたんだ!!
次のステップのパワーストーンの数珠が必要なんだ!!

「心処ありがとう」にケイもついてきてもらいました(笑)

続きを読む パワーストーン数珠が切れたら、次のステップへのサイン!!


新しい「巡礼地」? ~その1~

〜京滋こんなとこ〜

世界的に評価が高い日本の文化の一つに「アニメ」があります。

このアニメに登場する場所を巡ることが、若者を中心としたアニメファンの中で行われているそうです。そんな流れの中で、滋賀でも見どころとなるところがあるそうです。

今回は、「中二病でも恋がしたい!」というタイトルのアニメーションでの登場場所をご紹介したいと思います。

JR・京阪石山駅の2階にある「連絡コンコース」や「周辺風景」。

石山駅から東へ行くと琵琶湖から流れ出ている瀬田川があります。
そこにかかる「瀬田川大橋」や、そこから見える「JRの鉄橋」、橋を渡ったところにある
「唐橋公園」など、石山周辺に集中してあります。

また、かなり離れますが、近江八幡市安土町小中にある「旧伊庭邸」。こちらは、JR安土駅から徒歩圏内です。

そして、日野町にある「旧鎌掛小学校」。こちらは、最寄駅は近江鉄道 日野駅ですが、徒歩では非常に遠いところにあります。

最初の石山駅を通っている京阪電車が、現在、「中二病でも恋がしたい!」ほか、アニメを題材としたラッピング電車が走っています。内装まで、こだわっています。

こちらも併せてお見逃しなく。

また次の機会に、別のアニメの舞台となったところをご紹介したいと思います。

巡礼地01

巡礼地02


年に2回のチャンス!!

〜京滋こんなとこ〜

みなさまご存知の通り、京都といえば794年、
平安京がこの地に置かれてから明治まで、
天皇がこの地にお住まいになられていました。
平安京が遷都した当時の御所は、現在の場所から、
西へ約1.7km離れた千本通りに面したところにありました。

現在の御所は、当時、本来の内裏が火災などで焼失したときに
設けられた臨時のものでした。

南北朝時代(14世紀半ば)から、現在の場所が内裏として定着し、明徳3年(1392年)南北朝の合一以後、正式なものとなり、明治2年(1869年)お住まいが東京へ移るまで、使用されました。

この京都御所、普段は自由に出入りすることはできませんが、年に2回だけ、一般公開されます。

今年は、4月3日(金)から7日(火)の4日間。9時から15時30分の間で行われます。

この間、4月4日(土)10時からと11時30分からの2回、「小御所」で、雅楽の演奏会。
4月5日(日)10時からと11時からの2回「春興殿前広場」で、蹴鞠の実演が行われます。

桜の開花も3月23日現在で、京都御所は「咲きはじめ」だそうです。

一般公開の日程辺りには見ごろになっている?と思います。

この機会に春の京都を楽しまれてはいかがでしょう。

58a9dbe80dedc117d774137fb553a4b1-1024x768

c332b42056ada2cae3085d6efd82f351-1024x768
(写真:2014年4月12日撮影)


分り易い?初めての場所でも簡単に行ける!?

〜京滋こんなとこ〜

あなたの住所を書いてください。と言われて書く時、例えば、弊社の所在地の場合「大阪市西成区千本中1丁目1-1」の様にこう書きますよね。
この所在地を見て、地図なしでこの場所に行けますでしょうか?

たぶん、ほとんどの方は、ムリ!! って感じかと思います。

しかし、京都の中心部辺りだとそれがほぼ可能です。

例えば京都市役所の所在地
京都市中京区寺町通御池上ル上本能寺町488」。

これのどこが??って感じると思います。

実は、この中の「寺町通御池上ル」の部分だけで、ほぼ目的の場所が分ります。

皆さんご存じの通り、京都の道は、碁盤の目のようになっており、それぞれの通りに名前がついています。

北へ行くときは「上ル」。南へ行くときは「下ル」。
東へ行くときは「東入ル」。西へは「西入ル」です。

この通り名を頼りに行けば、たとえ初めて訪ねる場所でも、簡単に行けてしまいます。先程の住所だと「寺町通り御池通り交わる所北へ行った所」となります。

京都の方、あるいは、京都ツウの方はこの通りの名前を覚えておられることだと思います。

覚えにくい通り名ですので、昔からこんな歌にして覚えていたようです。

南北の通り

●てらごこふやとみやなぎさかい
 町、御幸町、麩屋町、小路、馬場、
●たかあいひがしくるまやちょう
 倉、之町、洞院、車屋町
●からすりょうがえむろころも
 丸、両替町、町、
●しんまちかまんざにしおがわ
 新町釜座西洞院、小川
●あぶらさめがいでほりかわのみず
 小路、醒ヶ井堀川
●よしやいのくろおおみやへ
 葭屋(町)、熊、門、大宮
●まつひぐらしにちえこういん
 屋、日暮智恵光院
●じょうふくせんぼんさてはにしじん
 浄福寺千本

東西の通り

●まるたけえびすにおしおいけ
太町、屋町、川、条、小路、御池
●あねさんろっかくたこにしき
小路、条、六角薬師、小路
●しあやぶったかまつまんごじょう
 条、小路、光寺、辻、原、寿寺、
●せった(せきだ)ちゃらちゃらうおのたな
 雪駄屋町、魚の棚
●ろくじょうさんてつとおりすぎ
 六条三哲
●しちじょうこえればはっくじょう
 七条条、九条
●じゅうじょうとうじでとどめさす
 十条東寺

48042a37bb1988e3298d7eb3205eb82d

約1000年に亘って首都としての役割を果たしていた京都です。
今のように便利な交通機関がない時代、多くの人々が暮らし、街中を行き来する中で、自分の行きたい場所、来てほしい場所を正確に伝えないと、行けない、来てもらいことだったでしょう。

本当のところは分りませんが、そんな時代背景から、人々の知恵が、この表し方を生んだような気がします。

やっぱり、京都って奥が深いなぁと、感じています。


〜清水の舞台から飛び降りる〜

〜京滋こんなとこ〜

a81824c181b92c3d246c116b20c67ca4

思い切ったことをする、一大決心をするなどの意味でつかわれることわざです。

観光などで行かれた方は、実際の高さをご覧になり、結構高いなぁ〜なんて印象を持たれたのではないでしょうか。

高さが約12mあり、4階建ての高さに相当するそうです。
この舞台から飛び降りをされた方、記録に残っているだけで、234人もおられるそうです。そのうち、不幸にもお亡くなりになられた方が、34人おられます。

エッ!て思われるでしょう。本当に飛び降りるなんて…。

この飛び降りが多く行われたのは、江戸から明治時代の初めだそうです。でも、この飛び降り、今のように、自殺志願の方がされた行為ではなかったようです。

当時、「命を懸けて飛び降りれば、観音様(清水寺のご本尊)ご加護で、命は助かり、願いことも叶う」と信じられていました。

親の病気が回復してほしい」「自分の病気が回復してほしい」などの願いを込め、飛び降りたそうです。当時の人々の熱い想いを、必死さを、感じることができることわざだと思います。


〜銅鐸〜

〜京滋こんなとこ〜

鐘01
(※画像は野洲市HPより引用)

銅鐸(どうたく)と聞いて、ピンとくる方、昔に何か聞いたことがあるかな?って方、いろいろあると思います。

学生の頃、歴史の授業で学習されたことだろうと思います。

弥生時代に作られた青銅器で、紀元前2世紀から約400年製造・使用されたそうです。

この銅鐸、これまでに全国で約500個発見されているそうで、そのうち、滋賀では41個(2001年3月末時点)発見されているそうです。

この約500個のうち、
最大の銅鐸(高さ134.7cm/重さ45.47kg)
野洲市小篠原の大岩山という所から。

最小の小銅鐸(高さ3.4cm/重さ5.2g)
栗東市下鈎(しもまがり)遺跡という所から発見されています。
鐘02
(※画像は京都新聞HPより引用)

この2つの場所、とても近い場所で、現在の行政区分に当てはめても、野洲市と栗東市は隣接する位置関係です。

何か、古代からの不思議なものを感じませんか?

最大の銅鐸は、銅鐸博物館(野洲市歴史紋族博物館)
最小の小銅鐸は、滋賀県立安土城考古博物館で、展示されています。


琵琶湖疎水〜その2〜

〜京滋こんなとこ〜

明治時代につくられた琵琶湖疏水。

琵琶湖2
~その1~で触れましたが、今でもされている水道用水などの利用だけでなく琵琶湖と京都を結ぶ「水運」も行われていました。

お米や、炭といった生活用品を運ぶだけでなく人を乗せての交通機関としての役割も果たしていたそうです。

その水運の名残として、1977年(昭和52年)に復元された「蹴上インクライン」があります。

落差の大きかったこの地で、船を安全に運航させるために設置された施設です。鉄道に敷かれているレールを敷き、その上に船を乗せる台車を乗せ、ケーブルカーと同じような要領で、台車を上下させていたようです。

インクラインは、地下鉄東西線蹴上駅からすぐのところなので観光で訪れ、ゆっくり散策するのにピッタリの場所だと思います。

これからの時期は桜もきれいなところです。

また、この春、
●3/28~4/19の土・日曜日
●4/25・26・29 5/2~6
に疎水の水運が試験的に復活します。

「琵琶湖疏疎水通船 試行船体験ツアー」として大津~山科~蹴上の7.8km 約60分など他2コース。一般の方の乗船もできるようです。(要予約)

詳しくはJTB西日本京都支店HPでご覧ください。

今は、あくまで試験段階なので、近い将来、気軽に観光として乗船できることが楽しみです。


琵琶湖疏水〜その1〜

〜京滋こんなとこ〜

琵琶湖

京都市と大津市の間に人工的に掘られた水路があります。

1890年に完成した第1疏水と、1912年に完成した第2疏水です。この2つを総称して琵琶湖疏水と呼んでいます。

ここから流れ出た水は、水道用水、工業用水、発電、灌漑、そして、水運に使われました。しかし水運は、1952年を最後に使われなくなりました。

この疏水、工部大学校(東京大学工学部の前身の1つ)を卒業したばかりの田邊朔朗(たなべさくろう)という方が、主任技術者となり造られました。この方、大学校の卒業論文は、「隧道建築編」、「琵琶湖疏水工事編」だったそうです。

これからの時期、もう少し暖かくなると、疏水の付近はとても桜がきれいなところでもあります。疏水と並行して走るJRの山科駅付近の車窓からは、山肌に桜色の帯が見え、遠くからでも「ここに疏水がありますよ」と言っているようです。