小ぢんまりした神社だけどすごい神社だった | 下御霊神社

先日ブログでご紹介した「心処ありがとう」パワーストーン専門店のすぐ横にある神社は、小ぢんまりした神社でしたが、創建当時の歴史を考えると人々のいろいろな思いがつまった神社だなぁー?!

さらにネットで調べてみるとすごい神社だったんだ!!

まるで陰陽師に出てくるような怨霊の世界・・・心半ばで、自分の思いを残したまま亡くなっていかれたそんな御霊を祀られている神社だったのです。そんなことをブログにまとめてみました。

下御霊神社04
鳥居で軽く一礼して入っていくと、楼門に見事な木彫りの龍。すごい迫力でした。

けっこうこの下御霊神社って、あまりガイドブックでも紹介されていないので知らない方が多いのではないでしょうか?
この神社の瓦を見て、まずびっくりー!!

下御霊神社03下御霊神社02

鬼瓦の代わりに、この花のワンポイントがついているのです。
この花は、完全なものではなく、門のところに当時のイメージを感じさせる完全形のデザインのものがついていました。
ただ逆光で撮れなかったので、ご紹介できず、すいません。

この下御霊神社の起源は平安時代にまでさかのぼるようです。
当時、京の都で疫病が流行し、人々は恐怖におびえる毎日を過ごしていたようです。
こんな時代のコトを取り上げた時代劇も見たりしますが、この疫病を亡くなった天皇や貴族の祟りと考えるようになったようです。その御霊を鎮めようと下御霊神社が鎮座し、御霊八所神を祀ったことが起源のようです。

下御霊神社05
楼門を進んで行くと舞殿が目の前に見えます。本殿は舞殿の奥にあります。すごく落ち着いた雰囲気です。

この神社にお参りして驚いたのは、本殿の横に、お伊勢さんや奈良の桧原神社のような三つ鳥居があることです。
そこは神明神社と言われて、祭神 天照大御神、豊受大神をお祀りされています。

下御霊神社06
こんな小さな神社にこのお社。やはり当時の人のことを思うと、医学も発達していない時代にわからない疫病。当然、無念で亡くなられた人の御霊か?と思っちゃいますよね。

この三つ鳥居を見ると、やはりちょっと違うすごい神社なんだなぁー!!
って思います。

この神社は、無実の罪などで非業の死をとげた人々(崇道天皇・伊予親王・藤原吉子・藤原広嗣・橘逸勢・文屋宮田麻呂)と火雷天神・吉備聖霊の八所神の御霊を祀り、疫病災厄退散し、朝廷と都を守る神社として崇拝されてきたようです。

すごいなぁー

と思ったのは、神輿や祭具を保管する蔵「神物寶庫(しんぶつほうこ)」 の彫り物です。この建物は宝永の大火後に建てられたようです。

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扉にこのような彫り物がついていました。
この精巧さには驚きました。

けっこう外壁なども荒れた神社ですが、じっくり見て歩くと、すごさが感じられる神社でした。
京阪神宮丸太町から歩いて、15分くらいだと思います。

おススメです。

●下御霊神社 ホームページ
  http://shimogoryo.main.jp/index.php?FrontPage

この神社の「水」も有名なようです。
次から次へと「水」を汲みに来られる方がいました。