お昼休憩が待ち遠しかった母の運動会弁当

こんにちは!! 売り切る売場仕掛人 伊藤 匠です。

いつもお店のお話しをお届けしているので、たまには私の楽しかった記憶でもお伝えしてみようかな? ふと思いました。

話しは、もう考えてみるとおよそ50年くらい前の話しです。
私の小学生時代の運動会の話しになるのですが、母が作ってきた運動会弁当の話しでもお届けしようと思います。

小学生の頃は「大きくなったら?」
今、子供の頃を振り返ってみると「しあわせだったんだなぁ?」

って、振り返ってみると、嫌だった思い出は浮かばないものですね。楽しい思い出ばかりが走馬灯のごとく蘇えってきます。
そんな家庭で育ったこと、亡き両親には感謝しなければと思います。

特に小学生の頃の記憶と言えば『母の作ってきた運動会弁当』です。そんなことをブログでお届けしようと思います。

父は写真好きでした。時代を感じさせる白黒写真ですが、けっこう懐かしいスナップが家のアルバムに残っています。

運動会と言えば、競技も楽しかった。
でも思い出すのは、お昼の休憩時間。
私の時代には、教室に戻って弁当を食べるのではなく、校庭で運動会を見に来てくれている両親とお弁当を食べていました。

母が作ってくる運動会弁当を食べるのがずっと楽しみでした。
母は、運動会のお弁当を、お正月に使う三段重に詰めて持ってきてくれていました。

周囲の友達から伊藤のとこ、お正月の重箱に入れて持ってきて、おいしそうだな?」って、横目で見られながら、優越感を感じるほど、自慢の運動会弁当です。

そうやって言ってもらうとやはりうれしいもの。

運動会の弁当は、私の自慢でした。

重箱の「一の重」には、おにぎり。その当時は、おにぎりの型などなかったので、母が朝早くご飯を炊いて、にぎっていました。
その数は、重箱にのりを巻いてギッシリ!!
「二の重」には、おかず。
「三の重」には、かならず玉子焼きとフルーツが入っていたように記憶しています。

特に思い出深いのは、二の重のおかずです。
野菜の炒め物、コロッケ、かまぼこなど、いろいろなおかず満載って感じ盛り付けられていました。
読売テレビの『得する人損する人のウル得マン』じゃないですが、朝の短時間でいろいろなものを作って持ってきてくれました。

そんなお弁当の中に
ウズラのたまごとしょうゆ味で甘く煮込んだ鶏肉を爪楊枝でさした料理が入っていました。
この料理、母のレシピでも残っていれば、作ってみたいのですが、残っていないので作ることができない。
記憶に残る大好きな一品でした。
この料理は、毎年のお正月の重箱にも入っていました。

この煮込んだ鶏肉が、柔らかくて煮汁がしっかりお肉中に行き渡っていて、今でも食べたいなぁ? って思い続けている料理のひとつです。また重箱の盛り付けも素敵だったので、友達の中でも楽しみに見る方もいました。

外食しても、料理が好きだった母のもとで育ったので、盛り付けの工夫、料理の味を真っ先に感じます。
振り返ってみると、しあわせな幼少期を過ごしたんだなぁ?

そんな思い出すキーのひとつが『料理』

徒然なるままに、振り返ってみましたが、みなさんも何かをキーに振り返ってみるとほんわかな気持ちになると思います。
日頃、あくせく働いていると時間だけ経過しまうものですね。
でも過去を時に振り返るのもいいものです。

最後までブログを読んでいただきありがとうございました。
週末は冷え込む予報。
インフルエンザも流行っているので、暖かい格好で風邪を召されませんように!! (笑)