ヴィエンチャンで大きな金ぴかの仏塔見つけた ヽ(*^^*)ノ

こんにちは~ ♬
売り切る仕掛人 匠(たくちゃん)です。

昨日のラオス・ヴィエンチャンの昭和の香りのする街並みにつづき・・・
ラオスのシンボルでもあり、国章にも描かれているワット・タートルアンがあります。遠くから見れば、金ぴかで、行った日は、あいにくスコールがあがったばかりだったので、天候は今一つだったのですが、晴れて青空が広がっていれば、きっといいきらめきを放つ仏塔なのではないか? と感じました。

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ワット・タートルアンは、「大きい仏塔」 (タート=「塔」 ルアン=「大きい」) という意味で、高さ45mのラオス最大の仏塔 で、外壁は一辺85mあるそうです。
紀元前3世紀ごろインドからマウリア朝のアショーカ王が派遣した仏僧の一行が仏陀の胸骨を納めるために、この仏塔を建立したと言い伝えられていますが、定かでないようです。
1828年にシャムの侵攻、1873年に中国の侵攻により損傷を受けたが、1936年に改修されて現在に至っているようです。
外壁周りには、タイのアユタヤのように破壊された仏像などが展示されているというより置かれています。

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仏塔の前に、「セーターティラート王の像」 があります。
この王が、1560年にラーンサーン王国の首都をルアンパバンからヴィエンチャンに移した人物で、建設者とも言われている ようです。
セーターティラート王(ラーンサーン国王在位:1548年〜1571年)は、ラーンサーン王国・国王とチェンマイを都とするランナータイ王国・王女との間に生まれた子供だったので、一時期ランナータイ王国の王位(1546年〜1547年)にも就いています。

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その時にセーターティラート王は、チェンマイから エメラルド仏 をルアンパバン持ってきて、ラーンサーン王国の守護仏にしたそうです。1560年に、ラーンサーン王国の首都をルアンパバンからヴィエンチャンに移転する際に、エメラルド仏も移されたそうです。1565年にエメラルド仏を安置する寺院としてワットプラケオが建立されたそうです。

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仏塔の横の建物には、画像のような金ぴかの涅槃仏が横たわっておられます。この涅槃仏の顔がとてもやさしくにこやかでよかったです。
ほんとうに微笑んでおられるという表現が合うような顔でした。
私も見ながら、こころが柔和になるような感じでした。

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少し歩くと、このような仏像が飾られています。
ほんとうに静かですが、11月の満月の日には 「タートルアン祭」 が行われるようで、広場には多くの屋台が立ち並び、例年30万人の人でにぎわうそうです。

そしてそこから車で移動して、パトゥーサイ(凱旋門) に向かいました。
パトゥーサイは、パリの凱旋門を模して建築された戦没者慰霊塔です。

パトゥーサイ1 パトゥーサイ2

この門は、1960年代にアメリカが新空港を建設するはずだったセメントを用いて建築されているそうです。
ラオス語で、パトゥー=「扉」「門」、サイ=「勝利」 という意味だそうです。
このパトゥーサイも入場料を払えば、中に入れて、長い階段を上ると展望台からヴィエンチャン市内が一望でき、とてもステキです。

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道路は、まっすぐ延びて、こうやって画像を見ていただいても、道路のサイドは、緑が広がっている様子や、建物の間にも大きな木が育っている姿が確認できると思います。
やはりビルが立ち並ぶ街もそれはそれでいいのでしょうが、自然と共存している街もステキだなぁ? って思います。

今日は、ラオスのシンボルについて紹介させていただきました。
毎度のごとく長々とお付き合いいただきありがとうございました。

パワスポ社長_感謝