もう382年前の話しですが・・・
西暦1634年・寛永16年のこと、江戸時代の話しです。
徳川三代将軍・家光公が将軍家の菩提寺でもある増上寺に参詣し、江戸城に帰る時道でのことだそうです。
ふと愛宕山の頂きを見上げた家光公の目に飛び込んできたのは、満開の「源平の梅」だったそうです。そこからこの物語のスタート!! そんなことをブログにまとめてみました。
そのきれいに咲き誇っている梅を見て、家光公が家臣に
「誰ぞ、馬に乗ってあの梅を取って参れー!!」
と言われたそうです。
実際の現在残っている階段を見ても、傾斜角度40度。
下から見ても、急だなぁー!! って思います。
これを馬に乗って、上まで取りにいき、梅を取って、戻ってくる。誰でもこの傾斜を見ると尻込みします。
一人として、名乗り出てくるものもおらず、家光公もいらいらして・・・
「誰ぞ、おらぬか?」
その時、家臣の中から一人、馬にまたがり上り始めたものがいた。それが当時、讃岐丸亀藩の家臣だった「曲垣平九郎(まがきへいくろう)」でした。
見る見る間に上っていき、頂上にたどり着いた。そして梅を手折り、馬で下ってきたそうです。
家光公は大喜びし、平九郎の馬術の腕前に感心し「日本一の馬術の名人」としてほめたたえたそうです。
今回、東京に行って、らおがしたかったのが、この階段を一気に駆け上がること。 会社の業績が苦戦する中、一気に駆け上がりたいと思ったからです。
やはり階段を目の前にすると、やはり急だったのと、石段なので滑ったらたいへんなことになるなぁー!!ってこと。
でも東京に着いたら、朝一「やろうー!!」って決めていたので、さっそく上り始めました。上り始めは、足もスムーズに運んでいたのですが、中段くらいから普段の運動不足が影響して、足が急に重くなってきました。
後ろを振り向くとよろめきそうになるので、振り向かず、ひたすら上にある鳥居を見ながら、走る!!走る!!
走って上りながら「まじ馬で上ったの?」と思い・・・
「おっちゃん、すべらんように気をつけー」
って、若い方に言われながら、何とか数えながら上ると82段かな? 上りきったと同時に、汗がドッと出てきた。
後で、ネットを見てわかったことですが
「キムタク」もこの階段を駆け抜けたとか!?
知らなかっただけに、うれしい。
この階段は「出世の階段」「男坂」ともいわれ、ご利益が実際どうなのか? わかりませんが、この階段を駆け上って、この階段を駆け上がれたので「頑張ろうー!!」ってことになるのは確か!!
この愛宕神社は、1603年(慶長8年)に徳川家康の命を受け、江戸の防火の神として祀られたのが始まりのようです。
こちらにお参りすれば「防火・防災」はもちろんですが「出世運」「旅行運」「勝利運」などのご利益がばっちりのようです。
新橋駅から徒歩15分くらいかな?
●愛宕神社公式ホームページ
http://www.atago-jinja.com/