「神社・寺・パワースポット」カテゴリーアーカイブ

新しい「巡礼地」? ~その1~

〜京滋こんなとこ〜

世界的に評価が高い日本の文化の一つに「アニメ」があります。

このアニメに登場する場所を巡ることが、若者を中心としたアニメファンの中で行われているそうです。そんな流れの中で、滋賀でも見どころとなるところがあるそうです。

今回は、「中二病でも恋がしたい!」というタイトルのアニメーションでの登場場所をご紹介したいと思います。

JR・京阪石山駅の2階にある「連絡コンコース」や「周辺風景」。

石山駅から東へ行くと琵琶湖から流れ出ている瀬田川があります。
そこにかかる「瀬田川大橋」や、そこから見える「JRの鉄橋」、橋を渡ったところにある
「唐橋公園」など、石山周辺に集中してあります。

また、かなり離れますが、近江八幡市安土町小中にある「旧伊庭邸」。こちらは、JR安土駅から徒歩圏内です。

そして、日野町にある「旧鎌掛小学校」。こちらは、最寄駅は近江鉄道 日野駅ですが、徒歩では非常に遠いところにあります。

最初の石山駅を通っている京阪電車が、現在、「中二病でも恋がしたい!」ほか、アニメを題材としたラッピング電車が走っています。内装まで、こだわっています。

こちらも併せてお見逃しなく。

また次の機会に、別のアニメの舞台となったところをご紹介したいと思います。

巡礼地01

巡礼地02


年に2回のチャンス!!

〜京滋こんなとこ〜

みなさまご存知の通り、京都といえば794年、
平安京がこの地に置かれてから明治まで、
天皇がこの地にお住まいになられていました。
平安京が遷都した当時の御所は、現在の場所から、
西へ約1.7km離れた千本通りに面したところにありました。

現在の御所は、当時、本来の内裏が火災などで焼失したときに
設けられた臨時のものでした。

南北朝時代(14世紀半ば)から、現在の場所が内裏として定着し、明徳3年(1392年)南北朝の合一以後、正式なものとなり、明治2年(1869年)お住まいが東京へ移るまで、使用されました。

この京都御所、普段は自由に出入りすることはできませんが、年に2回だけ、一般公開されます。

今年は、4月3日(金)から7日(火)の4日間。9時から15時30分の間で行われます。

この間、4月4日(土)10時からと11時30分からの2回、「小御所」で、雅楽の演奏会。
4月5日(日)10時からと11時からの2回「春興殿前広場」で、蹴鞠の実演が行われます。

桜の開花も3月23日現在で、京都御所は「咲きはじめ」だそうです。

一般公開の日程辺りには見ごろになっている?と思います。

この機会に春の京都を楽しまれてはいかがでしょう。

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(写真:2014年4月12日撮影)


分り易い?初めての場所でも簡単に行ける!?

〜京滋こんなとこ〜

あなたの住所を書いてください。と言われて書く時、例えば、弊社の所在地の場合「大阪市西成区千本中1丁目1-1」の様にこう書きますよね。
この所在地を見て、地図なしでこの場所に行けますでしょうか?

たぶん、ほとんどの方は、ムリ!! って感じかと思います。

しかし、京都の中心部辺りだとそれがほぼ可能です。

例えば京都市役所の所在地
京都市中京区寺町通御池上ル上本能寺町488」。

これのどこが??って感じると思います。

実は、この中の「寺町通御池上ル」の部分だけで、ほぼ目的の場所が分ります。

皆さんご存じの通り、京都の道は、碁盤の目のようになっており、それぞれの通りに名前がついています。

北へ行くときは「上ル」。南へ行くときは「下ル」。
東へ行くときは「東入ル」。西へは「西入ル」です。

この通り名を頼りに行けば、たとえ初めて訪ねる場所でも、簡単に行けてしまいます。先程の住所だと「寺町通り御池通り交わる所北へ行った所」となります。

京都の方、あるいは、京都ツウの方はこの通りの名前を覚えておられることだと思います。

覚えにくい通り名ですので、昔からこんな歌にして覚えていたようです。

南北の通り

●てらごこふやとみやなぎさかい
 町、御幸町、麩屋町、小路、馬場、
●たかあいひがしくるまやちょう
 倉、之町、洞院、車屋町
●からすりょうがえむろころも
 丸、両替町、町、
●しんまちかまんざにしおがわ
 新町釜座西洞院、小川
●あぶらさめがいでほりかわのみず
 小路、醒ヶ井堀川
●よしやいのくろおおみやへ
 葭屋(町)、熊、門、大宮
●まつひぐらしにちえこういん
 屋、日暮智恵光院
●じょうふくせんぼんさてはにしじん
 浄福寺千本

東西の通り

●まるたけえびすにおしおいけ
太町、屋町、川、条、小路、御池
●あねさんろっかくたこにしき
小路、条、六角薬師、小路
●しあやぶったかまつまんごじょう
 条、小路、光寺、辻、原、寿寺、
●せった(せきだ)ちゃらちゃらうおのたな
 雪駄屋町、魚の棚
●ろくじょうさんてつとおりすぎ
 六条三哲
●しちじょうこえればはっくじょう
 七条条、九条
●じゅうじょうとうじでとどめさす
 十条東寺

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約1000年に亘って首都としての役割を果たしていた京都です。
今のように便利な交通機関がない時代、多くの人々が暮らし、街中を行き来する中で、自分の行きたい場所、来てほしい場所を正確に伝えないと、行けない、来てもらいことだったでしょう。

本当のところは分りませんが、そんな時代背景から、人々の知恵が、この表し方を生んだような気がします。

やっぱり、京都って奥が深いなぁと、感じています。


〜想いが詰まった縁起物〜

〜京滋こんなとこ〜

滋賀で有名な焼き物といえば「信楽焼」。

そして、信楽焼といえば「たぬき」です。
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この「たぬき」、「他を抜く」という縁起担ぎから、お店の店先に置かれることが多いようです

またこの「たぬき」、姿かたちまで、縁起を担いでします。

八相縁起」と呼ばれています。

 :思わぬ災難から身を守る。
 :何事にも気を配り、物事を正しく見る。
 :お互い愛想よく。
徳利:飲食に困らない。人徳が身につく。
通帳:世渡りは信用が第一。
 :落ち着いて大胆な判断を。
金袋:金銭の宝は大切に運用を。金銭に恵まれる。
 :物事の終わりはしっかりと。

どこか愛嬌のある「たぬき」。

お店をしていない方も、あなたの幸せのために、

ご家族の幸せのために、玄関先に置いてみませんか。


〜毎月21日と25日は特別な日?〜

〜京滋こんなとこ〜

毎月21日、東寺では、親しみを込めて「弘法さん」と呼ばれる市が開かれます。

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(写真:弘法さんのにぎわい 中日新聞HPから引用)

「弘法さん」とは、弘法大師(空海)のことで、835年3月21日に亡くなられました。
この命日の毎月21日に露店市が開催されます。

平安時代から続く市で、脈々と続く京都らしい歴史を感じます。約1000の露店が並び、骨董、古着、陶器など様々なものが並びます。

1日あれこれ見廻っても飽きないことだと思います。

これと並ぶ露店市で、北野天満宮で開かれる「天神さん」があります。こちらは、北野天満宮に祀られている菅原道真公の命日にあたる毎月25日に露店市が開かれます。

規模は小さいですが、漬物、乾物、駄菓子、植木、衣類などのお店が並びます。
京都では、「弘法さんが晴れやったら、天神さんは雨や」というような天気に関する言葉があるくらい、身近で親しみのある露店市です。

たまたま、来週3月21日(土)は「弘法さん」の開催日です。祥月命日にも当たります。雨天でなけれは露店市が開催されます。

週末、早春の京都観光の一つに加えていいただければと思います。


〜ちょんまげ時代のスーパーマン? 滋賀 甲賀〜

〜京滋こんなとこ〜

外国人に、「日本」と聞いてイメージすることの一つに「忍者」があります。

忍者といえば有名なのが、甲賀忍者伊賀忍者です。
(※甲賀は「こうか」と読みます。一般的には「こうが」と濁りますが・・・)
84d0836cbb8739f047ab60637b112abc(※画像は甲賀流忍者屋敷 望月出雲守の屋敷 滋賀県HPより引用)

甲賀は現在の滋賀県甲賀市。伊賀は現在の三重県伊賀市です。
この2つの市、間にある山を隔てて、隣接しています。

忍者といえば、当時、人並み外れた技を駆使し、諜報活動、破壊活動、浸透戦術、暗殺などをしていたとされています。
e4c004d82c802973f4702aa0d0ff1800(※画像は甲賀の里忍術村 藤林家旧家 甲賀の里忍術村HPより引用)

そんな忍者の住まいだったとされる建物が、甲賀市に現存します。

普通の農家の住宅にしか見えない建物ですが、中に入るとどんでん返しや、落とし穴など、様々な仕掛けを見ることができます。

甲賀市甲南町の「甲賀流忍者屋敷」と甲賀市甲賀町の「甲賀の里忍術村」2箇所で、見学できます。

映画や、時代劇でしか見られない仕掛け、みなさん気になりませんか?


〜清水の舞台から飛び降りる〜

〜京滋こんなとこ〜

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思い切ったことをする、一大決心をするなどの意味でつかわれることわざです。

観光などで行かれた方は、実際の高さをご覧になり、結構高いなぁ〜なんて印象を持たれたのではないでしょうか。

高さが約12mあり、4階建ての高さに相当するそうです。
この舞台から飛び降りをされた方、記録に残っているだけで、234人もおられるそうです。そのうち、不幸にもお亡くなりになられた方が、34人おられます。

エッ!て思われるでしょう。本当に飛び降りるなんて…。

この飛び降りが多く行われたのは、江戸から明治時代の初めだそうです。でも、この飛び降り、今のように、自殺志願の方がされた行為ではなかったようです。

当時、「命を懸けて飛び降りれば、観音様(清水寺のご本尊)ご加護で、命は助かり、願いことも叶う」と信じられていました。

親の病気が回復してほしい」「自分の病気が回復してほしい」などの願いを込め、飛び降りたそうです。当時の人々の熱い想いを、必死さを、感じることができることわざだと思います。


〜銅鐸〜

〜京滋こんなとこ〜

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(※画像は野洲市HPより引用)

銅鐸(どうたく)と聞いて、ピンとくる方、昔に何か聞いたことがあるかな?って方、いろいろあると思います。

学生の頃、歴史の授業で学習されたことだろうと思います。

弥生時代に作られた青銅器で、紀元前2世紀から約400年製造・使用されたそうです。

この銅鐸、これまでに全国で約500個発見されているそうで、そのうち、滋賀では41個(2001年3月末時点)発見されているそうです。

この約500個のうち、
最大の銅鐸(高さ134.7cm/重さ45.47kg)
野洲市小篠原の大岩山という所から。

最小の小銅鐸(高さ3.4cm/重さ5.2g)
栗東市下鈎(しもまがり)遺跡という所から発見されています。
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(※画像は京都新聞HPより引用)

この2つの場所、とても近い場所で、現在の行政区分に当てはめても、野洲市と栗東市は隣接する位置関係です。

何か、古代からの不思議なものを感じませんか?

最大の銅鐸は、銅鐸博物館(野洲市歴史紋族博物館)
最小の小銅鐸は、滋賀県立安土城考古博物館で、展示されています。


琵琶湖疎水〜その2〜

〜京滋こんなとこ〜

明治時代につくられた琵琶湖疏水。

琵琶湖2
~その1~で触れましたが、今でもされている水道用水などの利用だけでなく琵琶湖と京都を結ぶ「水運」も行われていました。

お米や、炭といった生活用品を運ぶだけでなく人を乗せての交通機関としての役割も果たしていたそうです。

その水運の名残として、1977年(昭和52年)に復元された「蹴上インクライン」があります。

落差の大きかったこの地で、船を安全に運航させるために設置された施設です。鉄道に敷かれているレールを敷き、その上に船を乗せる台車を乗せ、ケーブルカーと同じような要領で、台車を上下させていたようです。

インクラインは、地下鉄東西線蹴上駅からすぐのところなので観光で訪れ、ゆっくり散策するのにピッタリの場所だと思います。

これからの時期は桜もきれいなところです。

また、この春、
●3/28~4/19の土・日曜日
●4/25・26・29 5/2~6
に疎水の水運が試験的に復活します。

「琵琶湖疏疎水通船 試行船体験ツアー」として大津~山科~蹴上の7.8km 約60分など他2コース。一般の方の乗船もできるようです。(要予約)

詳しくはJTB西日本京都支店HPでご覧ください。

今は、あくまで試験段階なので、近い将来、気軽に観光として乗船できることが楽しみです。


琵琶湖疏水〜その1〜

〜京滋こんなとこ〜

琵琶湖

京都市と大津市の間に人工的に掘られた水路があります。

1890年に完成した第1疏水と、1912年に完成した第2疏水です。この2つを総称して琵琶湖疏水と呼んでいます。

ここから流れ出た水は、水道用水、工業用水、発電、灌漑、そして、水運に使われました。しかし水運は、1952年を最後に使われなくなりました。

この疏水、工部大学校(東京大学工学部の前身の1つ)を卒業したばかりの田邊朔朗(たなべさくろう)という方が、主任技術者となり造られました。この方、大学校の卒業論文は、「隧道建築編」、「琵琶湖疏水工事編」だったそうです。

これからの時期、もう少し暖かくなると、疏水の付近はとても桜がきれいなところでもあります。疏水と並行して走るJRの山科駅付近の車窓からは、山肌に桜色の帯が見え、遠くからでも「ここに疏水がありますよ」と言っているようです。