先日、ウォーキングがてら奈良の東大寺に行った時に、ふと思い出したことがあります。
最近、ブログでお話しさせていただいた中学時代の社会のだんごっ鼻の竹花先生の授業のテーマ!!
この先生は、普通の社会科の先生がするような、奈良時代は710年に元明天皇が、平城京に遷都し始まったとか? 教科書に書かれていることを棒読みして、授業を進める先生でなかったことは、以前のブログでお話しした通りなのです。
たとえば今回、東大寺に行って、先生の授業を思い出しました。
奈良時代に、どうしてこんな大きな大仏を作ったんだろう?
って、テーマで生徒の方に意見を発表しながら、ブレスト形式で授業を進めていかれました。そんな授業だったので、とても楽しかったです。なので、こうやって東大寺に来ても、そんな先生の授業を思い出すのです。
そんな思い出も含め、ブログにまとめていこうと思います。
中学校の時の授業もうる覚えなのですが・・・?
どうして奈良時代にこんな大きな大仏を作ったのか?
授業では・・・
●権力を示すようなシンボル
●仏教の力を示したかった などなど
いっぱい発表内容は出ていたのですが・・・忘れてしまいました(笑)でも当時のただ聞いて、質問されただけの授業と違って、記憶に蘇ってくるのはすごいことだと思います。
やはり今の世に残されている仏像をじっと見ているとこころが穏やかになるとともに、この仏像を作られた頃の世の中はどんな社会だったんだろうって、思いを馳せます。
仏像にもいろいろな仏像が現在も存在しています。
やはりそんな思いを人により大なり小なりの違いはあると思いますが、抱かせること自体、パワーがあるのでしょう。
さて本論の、何でこんな大きな大仏を作る必要があったのか?
当時の内容は、うる覚えなのですが、東大寺公式ホームページの「よくある質問ーFAQ」のコーナーに書かれていたのでご参考にしていただければいいと思います。
● 東大寺公式ホームページ
東大寺公式ホームページ・「よくある質問ーFAQ」から引用させていただけば・・・
仏教が発祥したインド内において巨大な仏像(10m以上)が造られた例は殆どありません。
中央アジアなどで、交易の経済的な繁栄によって富を得た王侯貴族らが、巨大仏像を造る願主となり、弥勒信仰とあいまって多くの巨大仏が造られました。
中国においては、5世紀頃から皇帝らが願主となって多くの巨大な弥勒仏や盧舎那仏が造られました。
『華厳經』には、盧舎那仏は宇宙そのものであることが説かれていますが、「十」という数字が宇宙に拡大出来る特別の数字であることから、仏像の基本寸法である丈六(じょうろく)を十倍したものと考えられます。
つまり、寸法としては15mと限りがありますが、内容としては無限大の宇宙的寸法と言えるでしょう・・・
と言う感じで、仏教の世界観からきているようです。
大仏様の盧舎那仏の名は、宇宙の真理を体得された釈迦如来の別名で、世界を照らす仏・ひかり輝く仏の意味だそうです。
左手で宇宙の智慧を、右手に慈悲をあらわしながら、人々が思いやりの心でつながり、絆を深めることを願っておられる。
という思いをあらわすやさしいまなざしが示すように、大きさもありますが、愛の深さを感じるものです。
大仏様の横に寄り添うように、如意輪観音様が控えておられます。
御朱印もすてきな感じでいただきました。
新緑の映えるこの季節に奈良公園含め、歩いてみるのも気持ちがいいものですね。