こんにちは~ ♬
売り切る仕掛人 匠(たくちゃん)です。
今日は、ご紹介していただいた「しあわせはどこにある」という映画が、京都シネマと三宮の映画館でしか、上映していなかったので、最近、いろいろなことがあって、映画を見て、こころの中をリセットして、祇園祭を目前に控えた京都の街を見て、こころを調和させたくて京都に向かいました。
ずばり京都!!
朝から暑い一日でしたが、祇園祭の山鉾巡行が、明後日ということもあって、四条通りの商店街や周辺では、祇園祭の「コンコンチキチン・・・♫」 という御囃子が流されていました。また通りには、山鉾が立ち並んでいました。
歩きながら、お囃子を耳にしているだけで、祇園さんのお祭りだなぁ?って、感じます。台風の予想進路図を、16日・17日に北上してくるので、天候が心配だなぁ?って思いました。
でも祇園祭って!!
ほんとうに相当な悪天候でも巡行は行う 「小雨決行、大雨強行」 という基本スタンスなので中止していない祭りなんですね。
過去の中止は・・・
●1467年(応仁元年)応仁の乱。
●1943年(昭和18年)太平洋戦争のため、4年間中止される。
●1962年(昭和37年)阪急地下鉄工事。
また山鉾巡行延期の過去の理由も、「本能寺の変」「禁門の変」「コレラの流行」 などの理由ということで、今回もきっと決行されるのでしょう。でもしっかり運営側、見物のお客様の安全確保は、しっかりしてほしいものです。
ふと思ったのですが、祇園祭って、八坂神社のお祭りなのに、
山鉾は、四条通りを東進して、四条河原町交差点で曲がって、河原町通りを北上していくのですが・・・今日のタイトルの
「なぜ山鉾巡行は、八坂神社のお祭りなのに、八坂神社前を通らないんだろう?」
みなさんは、ご存知でしたでしょうか?
ふと私が感じたことなのですが、四条河原町の交差点から八坂神社までは、徒歩で、約15分くらいだと思うのですが、どうして八坂神社の交差点では曲がらず、四条河原町の交差点で曲がってしまうのか?
これをネットで検索していると、結果がさっと出てきました。
祇園祭といえば、山鉾巡行が華やかなので、そちらに目がいってしまいます。実は、同じ日に 「神幸祭」 があることを知りました。
山鉾は本来、疫病等の災厄をもたらす疫神を鎮めるため、依り代(よりしろ)として鉾や山を作り、町中を回ったと考えられているようです。
鉦や笛、太鼓で囃すのは、荒ぶる疫神(怨霊)を鎮める目的だったようです。同日の夜に行われる神幸祭の神輿の渡御に先立って、都大路の清祓することを山鉾でされていたようです。
これに関しては、いろいろ諸説があるようで、どれがどうか? わかりませんが、神様が通られる前に、山鉾で清祓したとすれば、わかりやすいと思います。
祇園祭のメインは、三基の「神輿」 となるのでしょうか?
神幸祭では、三基の神輿が八坂神社から出発して四条寺町にある御旅所に渡御されます。そして1週間後の7月24日に、「還幸祭」 といって、三基の神輿が八坂神社に戻られます。
たまたま八坂神社も立ち寄ったのですが、おそらく画像の神輿が、神幸祭・還幸祭で使われる神輿でないか? と思います。
四条寺町にある御旅所は、山鉾の設置場所より、八坂神社寄りにあるので、山鉾巡行は、八坂神社の三基の神輿が、御旅所に渡御される前に、祭神 【素戔嗚尊 (すさのをのみこと) ・櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと) ・八柱御子神 (やはしらのみこがみ)】 の来訪のため の、いわばお清めのような役割を担っていると考えられている説もあります。
だから、山鉾巡行は、八坂神社の交差点まで行かず、四条河原町交差点で曲がるのでしょう。 とすれば、そこから先は、八坂神社の御神域になるということも想定されます。
とうことは、祇園祭のメインイベントは 「還幸祭」 ということになるのではないでしょうか? 私は、祇園祭 = 山鉾巡行とイメージしていました。 還幸祭は、神輿に、御旅所で、あらゆる災いを神輿に積んで、八坂神社に戻っていく。また時間があれば 「還幸祭」 にも足を運んでみたいと思います。
ひとつネットを見ていると、「八坂神社」と名前を変えたのは、明治維新の頃で、それまでは 「祇園社」「感神院」と呼ばれていたそうです。
ちょっと、これは勉強になりました。
●八坂神社ホームページ
http://www.yasaka-jinja.or.jp/
今日も長々とお話しにお付き合いいただきありがとうございました。