昨日は、陰陽石が面白かった飛鳥坐神社を紹介させていただきました。
明日香村には、有名な古刹が点在していますが、飛鳥坐神社から少し離れたところに代表的なお寺の一つとして「飛鳥寺」があります。
飛鳥寺は596年に曽我馬子が創建した日本最古のお寺と言われています。
寺名も「法興寺」「元興寺(がんごうじ)」「飛鳥寺」と呼ばれ、現在は「安居院(あんごいん)」と呼ばれています。
平城遷都の際に奈良に移されました。
そんな飛鳥寺ですが、祀られている御本尊の飛鳥大仏が有名です。そんなお話をブログにまとめてみました。
昔は、画像のように曽我馬子の権力を示すように壮大な伽藍だったようです。現在は、講堂といくつかの遺跡を残すのみとなっています。
曽我馬子と言えば、日本史の教科書に出てきた人でうっすらと覚えています。
昔の壮大なイメージは残っていないのですが、講堂に祀ってある飛鳥大仏は606年に推古天皇が帰化人の仏師に造らせたそうです。
この飛鳥大仏は、お話によると「二度にわたる火災にあい、お堂も焼けてしまい一時は野ざらし状態になったことがある」そうです。
飛鳥大仏はこんな苦難の中、開眼当時のものは頭部の上半分・左耳・指の一部のみで、後に補修されて、今の世につながっているということです。なのでじっくり見てみるとつぎはぎされています。こんな仏様なので国宝にも指定されていません。
でも私が勝手に思うことですが、何人も人がこの飛鳥大仏にいろいろな思いを込めて補修されているのですごいパワーを持っておられると思います。
飛鳥大仏の特徴として手の指と指の間に水鳥の足のようにひだがついているそうで・・・
「何人たりとももらさず救い上げる」
という仏の教えを表しているそうです。
でもこの大仏様は、じっと見ていると何か?ほかの仏像と違う温かさがあるのです。それはいろいろな人の思いじゃないかな?
大仏の左右には、向かって左側には、室町時代の木造の「聖徳太子孝養像」が、向かって右側には、藤原時代末期(12世紀)の「阿弥陀如来像」が安置されています。
両像とも、すごく時代を感じるもので、じっくり見ると飛鳥大仏と同じように温かみを感じます。
飛鳥寺は、蘇我氏の氏寺です。
当時は、飛鳥寺の横に蘇我氏の大きなお屋敷があったそうです。
この場所は「大化の改新」を起こした中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠会で最初に出会った地と伝えられています。
そして蘇我入鹿が暗殺されたところでもあり、そして「大化の改新」につながっていったということです。
そんな歴史ロマンが満載している地です。
飛鳥と聞くだけで、すごく古代ロマンを感じます。
GWに楽しんで見られればいかかでしょうか?
このブログが少し参考になればいいですね (^^)